大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所 昭和53年(行ウ)9号 判決

原告

古沢光雄

右訴訟代理人

神山祐輔

被告

熊谷労働基準監督署長

下形長十郎

右指定代理人

宮北登

外六名

主文

一  被告が昭和四九年三月二〇日付で原告に対してした労働者災害補償保険法に基づく療養補償費を支給しない旨の処分を取消す。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告

主文と同じ。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二  原告の請求原因

一  原告は、昭和四八年九月一七日から、アオイ化学工業株式会社に雇用され、埼玉県大里郡花園村大字小前田字宿東一二〇〇番地の同会社東京工場(以下「東京工場」という。)に経理事務員として勤務していたが、同年一〇月一七日夕方、東京工場から秩父鉄道小前田駅まで右会社所有の自転車(以下「本件自転車」という。)に乗つて退勤する途中、午後五時四〇分ごろ、国道一四〇号線路上において、対向自動車のライトに目がくらんで側溝に落ち、そのため、右下腿打撲擦過症、膝部打撲内出血兼不整脈の傷害を受け(以下この事故による負傷を「本件負傷」という。)、以来、大塚医院その他の病院に入・通院して療養を続けた。

二  原告は、昭和四八年一二月一〇日、被告に対し、本件負傷について、労働者災害補償保険法(以下「労災法」という。)に基づく療養補償費の支給を請求したところ、被告は、昭和四九年三月二〇日付で、原告の請求は、災害発生事由に業務性が認められないとして、療養補償費を支給しないとの処分(以下、「本件処分」という。)をした。

三  原告は、本件処分を不服として、埼玉労働者災害補償保険審査官に審査請求したが、昭和四九年七月八日請求棄却されたので、さらに、労働保険審査会に対して再審査請求をしたところ、同審査会は、昭和五一年一一月三〇日付で原告の右請求を棄却する旨の裁決をし、同裁決は、同年一二月二五日原告に送達された。

四  しかし、本件負傷は、次に述べるように、業務上の事由によつて生じたものである。

1  当時、東京工場長は近藤二郎であつて、同人は、東京工場の従業員を全般的に監督する責任者であつたが、その監督の必要上、出勤に要する時間を短縮するために、自己の通勤経路中の小前田駅・東京工場間において、毎日本件自転車を使用していた。そして、当日は、たまたま娘とともに自動車で帰宅することになつたため、同工場長は、翌日の業務遂行の便宜を考慮して、退勤時に、原告に対して、本件自転車を小前田駅まで運ぶよう命令したのである。

2  およそ、労災補償制度は、「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべき」労働条件(労働基準法一条)の最低基準を定立することを目的として業務上災害に種々の補償を行なおうとするものであり、対等な市民相互間に発生した損害の公平な分担を目的とする民法上の損害賠償制度とは異なる。従つて、前者における業務上災害の要件としては、後者において必要とされる相当因果関係が必要ではなく、より広く業務と災害間に合理的関連性があることで、必要かつ十分というべきである。そうすると、本件負傷は、原告が、工場長の業務上の命令によつて、会社所有であり、専ら工場長の業務上の必要のため使用されていた本件自転車を運ぶ途中に生じたものであるから、原告の業務との間に合理的関連性があることは論をまたない。

3  また、業務上災害であるためには、いわゆる「業務遂行性」及び「業務起因性」が必要であるとの見地に立つとしても、まず、業務遂行性とは、労働者が労働契約に基づき事業者の支配下にあることをいい、それには、事業者の支配下にあるが施設管理下を離れて業務に従事している場合も含まれるところ、本件負傷に至つた事実関係は、この場合に該当するし、次に、業務起因性とは、その災害が当該業務に伴う危険の現実化したものかどうかに帰するが、本件負傷が自転車の乗り運び業務に伴う危険の現実化したものであることは明白である。従つて、本件負傷については、業務遂行性及び業務起因性の両要件が充足されている。

五  よつて、本件負傷をもつて業務上の事由によるものでないとした本件処分は、違法であるから、その取消を求める。

第三  被告の答弁

一  請求原因第一項から第三項の事実は認める。

二  同第四項は争う。但し、1のうち、当時、近藤二郎が東京工場長であつて、原告主張のような監督責任者であつたこと及び同人が自己の通勤経路中原告主張の区間において本件自転車を使用していたことは認める。

三  本件負傷は、業務上の事由によつて生じたものではないから、本件処分は正当である。その理由は次のとおりである。

1  近藤工場長は、当日の午後出張することになつていたので、原告に対して「小前田駅まで本件自転車に乗つて帰つてください。」と話した。それは、原告が本件自転車で駅まで行けば歩かないですむという便宜を考えてのことである。従つて、原告が東京工場から小前田駅まで本件自転車に乗つた行為は、労働契約の本旨に基づく事業達成のためのものではなく、職務の関係のない双方の利益から導かれた動機によつて個人的に行なわれたものであるから、これについて業務遂行性は存しない。

2  近藤工場長が小前田駅・東京工場間の通勤に本件自転車を使用したのは、業務上必要であつたためではない。なぜなら、工場長の所定就業時間は午前八時から午後五時までであり、小前田駅午前七時二八分着の電車を利用すれば、同駅から徒歩で出勤しても、同四五分ころには東京工場に到着し、従業員の監督上不都合はなかつたからである。従つて、工場長の本件自転車使用は、早く東京工場へ着くためというより、歩かないですみ楽であることが主たる理由であつて、私用のためのものである。

また、仮に、工場長が責任上所定時刻より早く出勤しなければならないために、本件自転車を使用していたとしても、それが工場長個人の通勤手段であり、私的行為であることには変りはなく、業務性を有するものではない。

3  原告は、その職務が経理担当であつて、庶務、秘書的業務を行なう立場ではなく、また、職務上当然本件自転場を運ぶ立場でもなかつた。従つて、原告が本件自転車を運んだのは、業務命令によるものではない。

4  仮に、原告の本件自転車を運んだ行為が近藤工場長の命令によるものであつたとしても、それは、工場長個人の私的依頼に過ぎないから、これによって、業務遂行性を有するとはいいがたい。また、工場長自身の本件自転車使用行為が、前述のとおり、あくまでその通勤手段であつて、業務遂行性がない以上、原告の右行為は、工場長の右行為の幇助行為であるに過ぎないから、その点においても業務性を生じない。

第四  証拠関係〈省略〉

理由

請求原因第一項から第三項の事実は、当事者間に争いがない。

そこで、本件負傷が労災法(昭和四八年法律第八号による改正前のもの)一条にいう「業務上の事由」によつて生じたものかどうかについて検討する。

まず、当時、アオイ化学工業株式会社東京工場(埼玉県大里郡花園村大字小前田字宿東一二〇〇番地所在)の工場長が近藤二郎であり、同人は、東京工場の従業員を全般的に監督する責任者であつたが、自己の通勤経路中の秩父鉄道小前田駅・東京工場間において、右会社所有の本件自転車を使用していたことは、被告の認めるところである。

次に、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

1  東京工場は、原告の入社した昭和四八年九月のかなり前から、業務用自転車として本件自転車が一台備えつけられており、その保管責任者は近藤工場長であつた。そして、本件自転車については、本社から、東京工場従業員は誰でも、通勤用を含めて社用に使用してよい旨の指示があつたが、当時は、勤務時間中従業員が適宜使用していたほか、朝夕の出退勤時には、専ら近藤工場長が自己の通勤用に使用していた。

2  近藤工場長は、常時の通勤方法として、出勤には、自宅のある本庄市から国鉄高崎線経由で熊谷駅に至り、そこから小前田駅定時午前七時二八分着の秩父鉄道電車に乗り換え、同駅に下車した後、駅前の空地に置いてある本件自転車に乗つて東京工場まで行き、退勤には、東京工場から本件自転車に乗つて同駅まで行き、本件自転車に施錠してこれを右空地に留め置き、前記と逆の順路で帰宅していた。

3  原告は、入社以来、経理関係を主体に勤務していたが、小人数(事務職員は工場長を含めて五人)の事業所であるため、電話の取り次ぎ、来客の応接等の雑用をすることもあり、また、出勤時には近藤工場長と同じ秩父鉄道電車を利用する関係にあつたため、同工場長が通勤時に本件自転車を使用しないときは、その指示によつて、代りに本件自転車に乗つて小前田駅まで運び、施錠のうえ前記空地に置き、翌朝、電車の中でその鍵を同工場長に手渡したことも、本件負傷前に数回あつた。

4  ところで、近藤工場長は、昭和四八年九月一七日(本件負傷の当日)、就業時間後に、銀行勤務の自分の娘を東京工場に呼んで、事務職員の四方田すみ江に対しテレックスの繰作を指導してもらうことになり、指導終了後は娘とともに自動車で帰宅する予定であつたので、同日午後五時過ぎごろ、退勤する原告に対して、駅まで本件自転車に乗つて行つて下さいと指示した。

5  他方、原告は、当時六七歳であり、右足に骨髄炎等の既往症があつて、もともと自転車に乗ることには不安があり、しかも、そのころ小雨が降つていたので、近藤工場長の右指示に困惑したが、上司の命令であつては仕方ないと考え、同日午後五時四〇分ごろ、片手で洋傘を差しながら、本件自転車に乗つて東京工場を出、小前田駅に向う途中、本件負傷の事故に遭つた。〈証拠判断略〉

以上の事実関係によると、原告は、当日退勤時において、東京工場従業員の監督者であり、本件自転車の保管責任者でもある近藤工場長から、特に、本件自転車に乗つて小前田駅まで行くことを命ぜられたもの(この命令が、翌日の同工場長の出勤のために、本件自転車を恒例の駅前空地まで運び、同所に施錠して置いておく内容をも包含することは、いうまでもないところである。)と認めるのが相当であるから、この特命に従つて本件自転車に乗つて帰る途中に生じた本件負傷は、原告にとつて、通退勤途中の災害ではあるが、右特命の加えられたことによつて、労働者が使用者の支配管理下に置かれていたとみられる特別の事情のもとに生じたものと解することができる。

なお、被告は、原告が本件自転車を運んだ行為について、近藤工場長の命令によるとしても、同工場長の私的依頼に過ぎないとか、業務遂行性のない工場長の通勤行為の幇助であるとか主張して、その業務性を否定しようとする。しかし、業務性があるかどうかは、当該命令者の主観的事情とは関係なく、客観的に決められるべきものであるから、仮に、同工場長が私用のための依頼と認識していたとしても、通勤用として使用することを許されている会社所有の自転車について、その権限ある同工場長から乗車兼運搬が命令されている以上、これに従つた行為に業務性がないという理由はないし、また、同工場長が原告に命令した意図が翌朝の自己の通勤手段確保にあつたことは、そのとおりであるけれども、その工場長の通勤行為が、労働者としての工場長自身について、労災法上の「業務上」の範ちゆうに入るかどうかと、原告の本件行為の業務性の有無とは別個の問題であるから、本件について業務遂行性を否定する被告の根拠は、いずれも失当というべきである。

以上のとおりであつて、結局、本件負傷は、労災法の業務上の事由によつて生じた災害にあたるから、これに反する理由に基づいてした本件処分は違法であり、取消を免れない。

よつて、原告の請求は正当であるから、これを認容することとし、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条に従い、主文のとおり判決する。

(橋本攻 薦田茂正 並木正男)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例